我が青春の地、いわき湯本温泉の紹介、

我が青春の地、福島県いわき湯本は地域でも珍しい温泉地で、其の温泉に因んだ特色や歴史などを紹介します、

四国の旅・愛媛県; 伊予松山 「野球王国」


 四国の旅・愛媛県; 伊予松山 「野球王国」  ,








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野球王国・松商





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松山道は、松山市の南端で西よりへ向かい、瀬戸内の西条市からさらに高松へ延びている。
松山ICより、待望の松山市内へ入ったようであり、一旦、国道33号線へ出る。
この国道は土佐の高知から内陸部を通って松山に到るもので、松山側からは「土佐街道」、高知側からは「松山街道」と称しているようである。 

次に、松山のほぼ市街に入ったところで、国道11号線と合流する。こちらは阿波の徳島を起点として讃岐の高松を経て、伊予小松と、ほぼ瀬戸内沿岸から松山に達している。通称、松山側で「伊予小松街道」、この先を「讃岐街道」と言っているようだ。
小生、20代後半、仕事で瀬戸内の直島(岡山県玉野市のすぐ前にありながら四国・香川県所属=香川郡直島町)で半年間、出張勤務してた時期があった。作業勤務が終了して、本社(東京)へ戻るとき、休暇をとって四国の主要都市を巡る一周の旅をしたのが、この二つの国道ルートであった。


松山市街は夕刻時でもあろうか、車の往来も激しく、人の行き来も気ぜわしく感じる。 
しかし、首都・東京周辺の気違いじみた渋滞や喧騒は無く、やはり、田舎の都会なんだなあ・・、と実感する。 
石手川の立派な橋を渡って間もなく、都会の真中に「松山商」があるのに気がついた。 
四国は高校野球が盛んで全国的にもレベルが高い、愛媛県はその筆頭だろう。
その中で松山商高は歴史、伝統ともに抜きん出ていることは、高校野球ファンならずとも大衆が認めるところであろう。
 

高校野球ファンの小生には、この松商の試合で強烈に印象に残っているのが二試合ある。
一つは昭和44年・夏の大会決勝戦の試合である。
この時は小生、勤務を早引きして近所の公民館でテレビ拝見した時の事である。相手は青森県・三沢高校である、通のファンなら「ああ、やっぱりあの試合か・・」と思うに違いない。


次回も松商のこと、


  
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