読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

平成日本紀行

日本一周の旅の記録を、各地ごとにまとめ記載しています、

27、世界遺産;厳島神社の仮説  「平家滅亡と厳島神社」

世界遺産・安芸の宮島



 27、世界遺産厳島神社の仮説  「平家滅亡と厳島神社」 






http://www.miyajima.or.jp/sightseeing/img/img_itsukushima.jpg




http://www.hankyu-travel.com/attending/heritage/japan/images/EBP12-52068A.jpg







ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 
にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へにほんブログ村

旅の記録;「日本一周」へリンクします

当時の中国・宋は、北方民族「金」(今の中国東北地区・満州)の侵略を受けていました。
武器の確保は、宋にとって最重要課題だったのです。

清盛は、非常に優れた情報収集能力を持っていて、非常に優れた戦略化であり、偉大な外交家だったのです。
当時の東アジアの情勢については”自分の手のひらを見るように詳しかった”のです。
宋が弱体化している今こそ、平等な貿易関係を築くことが出来る絶好のチャンスだと思っていました。


当時は、海に出ることはとても危険でした。
貿易都市として栄えた寧波、そんな貿易に携わる人にとって心のよりどころとなったのが、普陀山でした。
宗教都市・普陀山と貿易都市・寧波が近くにあるという関係は必然でした。

これは、厳島神社と福原の関係と似ていますし、つまり日宋貿易で重要な位置にあったのが、厳島神社でした。
厳島神社は、日宋貿易の入口であり出口なのです。

清盛は、貿易と宗教の相乗効果を知っていたのです。
日宋貿易によって日本の国力を高め、同時に信仰の聖地として厳島神社を築き上げたのです。


その後の源平の戦いで平家は滅びたものの、厳島神社に残された観音信仰そのものが機能していたので、厳島は残ったのかもしれません。
何故なら、鎌倉時代というのは日本の宗教界、仏教界では最も栄えた時代でもあったのです。 

鎌倉幕府も貿易を念頭に置いていたので、この厳島の修繕には力を入れていました。

因みに、現在残されている具体的な仏教界と言うのは鎌倉期から派生した各種の宗派が引き継がれているのです。

今から800年以上前に清盛によって建設された海上神殿・厳島神社は今も輝き続けています。、そこにはまだまだ知らない謎が眠っているかもしれません。


 本稿、世界遺産厳島神社、終わり、

  
「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
NatenaBlog(ハテナ・ブログ)    GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」