平成日本紀行

日本一周の旅の記録を、各地ごとにまとめ記載しています、

平成日本紀行(182)出雲大社 「拝礼の意義」

平成日本紀行(182)出雲大社 「拝礼の意義」 . 出雲大社への拝礼は、希望や願望と同時に、“厄災を起こさずに鎮まってて下さい”という意味でもあるとか・・、出雲大社の広大な境内(実は、境内そのものは伊勢神宮や宇佐神宮よりかなり小規模)の内、拝殿、本殿…

平成日本紀行(182)出雲大社 「国譲り伝承」

平成日本紀行(182)出雲大社 「国譲り伝承」 、 古代・出雲大社の想像図(資料) 大国主が、大和の神へ「国譲り」を行ったとされる真意は・・? 、出雲大社が最初に創建されたのはいつのことなのか・・?、 その具体的年代を知る事は非常に困難であると言われ…

平成日本紀行(182)出雲大社 「御本殿」

平成日本紀行(182)出雲大社 「御本殿」 , 出雲大社の主要神殿の配列;手前から拝殿、八足門、桜門、一番奥が御本殿 出雲大社・本殿(Wik) 本殿内部の祭神配列の異様さ・・? 、その奥の高床の最上位にある神殿、つまり大社造りの御本殿に御神体が鎮座してい…

平成日本紀行(182)出雲大社 「拝殿と拝礼」

平成日本紀行(182)出雲大社 「拝殿と拝礼」 、 出雲大社の主要神殿の配列;手前から拝殿、八足門、桜門、一番奥が御本殿 出雲大社・拝殿 (以上はWikから) 出雲大社での参拝は四礼四拍手一礼が基本で、四回の拍手は、四合わせ(幸せ)に通ずるという・・、…

平成日本紀行(182)出雲 「日本人と藁」

平成日本紀行(182)出雲 「日本人と藁」 、 出雲大社の注連縄 引き続き、注連縄に絡んだ「藁」(わら)について・・、序ながら、昨今、都会では「藁」を見かけなくなったが、それでもお正月になると注連飾りなどで、藁に接する機会がある。 注連縄を作るため…

平成日本紀行(182)出雲 「出雲大社」 

平成日本紀行(182)出雲 「出雲大社」 、 出雲大社の神楽殿を飾る日本一の「大注連縄」 先ず、出雲大社の日本一の大注連縄について・・、午前6時を回った頃の早朝、国道9から国道431にて大社方面へ向かった。 国道は、それなりであったが大社の町は未だ朝の静…

平成日本紀行;石見銀山紀行(12) 「石見銀山史」(2)

平成日本紀行;石見銀山紀行(12) 「石見銀山史」(2) . 大森代官所跡近くにある「井戸平左衛門正明」を祀る井戸神社 序ながら、「いも代官」と言われた大森代官の逸話を一つ、「石見銀山」の代官所は大森町に設けられ、幕末まで59人の奉行・代官が交代で…

平成日本紀行;石見銀山紀行(11) 「銀山の歴史」

平成日本紀行;石見銀山紀行(11) 「銀山の歴史」 . 「石見銀山」が、何時、誰に発見されたのかを確実に伝える資料は今のところ見つかっていないという。 ただ、「銀山旧記」という説話古文書にはは以下のように記されているという。『 室町後期、博多の…

平成日本紀行;石見銀山紀行(10) 「銀山街道」

平成日本紀行;石見銀山紀行(10) 「銀山街道」 . 石見銀山の尾道銀山道 ( このMAPは、筆者・○○氏から拝借したものです。 詳細URL; http://www.geocities.jp/saigokuh16f6/49iwami-ginzan.html ) 龍源寺間歩より先は、車では行けず山道となる。 先にも…

平成日本紀行;石見銀山紀行(9) 「鉱山の守神と間歩」

平成日本紀行;石見銀山紀行(9) 「鉱山の守神と間歩」 . 石見銀山遺跡・「龍源寺間歩」入口 龍源寺間歩の内部 落ち着いた雰囲気の「安養寺」からは道路は山峡の地へ入り、車がやっと一台通れるくらいの道幅である「新切間歩」や「福神山間歩」などがあり…

平成日本紀行;石見銀山紀行(8) 「大久保石見守長安」

平成日本紀行;石見銀山紀行(8) 「大久保石見守長安」 . 街外れの山襞に苔むして一人寂しく眠る 「大久保石見守長安」の墓 人家も疎らになった山間の地をゆっくりと車を進めると山裾の緑陰の地、古き石段を少々登ったところの静謐の地に「大久保石見守長…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(7) 「銀山の街・大森地区」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(7) 「銀山の街・大森地区」 平成 代官所跡の建物7は、現在は「石見銀山資料館」 大森の町並みと「五百羅漢」 仁摩の町へ入って間もなく大きな石見銀山への案内が目に付く、その案内に従って内陸山地へと向かった。 暫く、潮…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(6) 「沖泊・鞆ヶ浦」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(6) 「沖泊・鞆ヶ浦」 、 深い入り江の「沖泊湾」 穏やかな「鞆ヶ浦」 入江で船を係留する岩・「鼻ぐり岩」 (以上、Wikから出典) 温泉津の北方先端、湯里から馬路の間のリアス形海岸入江に、石見銀山の銀の積出港であった「…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(5) 「温泉津温泉」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(5) 「温泉津温泉」 . 温泉津温泉 温泉津温泉・「薬師の湯」 江津を出ると、すぐに山陰本線の山あいの「温泉津駅」に至った。 やはり赤い屋根のチョット豪華な民家風の駅であった。「温泉津」は、普通に読めば「おんせんつ」で…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(4) 「佐比売山神社」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(4) 「佐比売山神社」 , 石見銀山の守神・「佐比売山神社」(Wikより) さて石見三田・世界遺産の大田市(おおだし)であるが、大田市は雄大な自然、温泉や食事など観光をするのに魅力の多い街で、情緒あふれる温泉津温泉、鳴…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(3) 「石見三田」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(3) 「石見三田」 , 引続き「石見地方」のことである。 石見国(いわみのくに;石州:せきしゅう)は、東西に長いため東から大田市を中心とする東部を「石東」、江津市や浜田市を中心とする中部を「石央」、益田市を中心とする…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(2) 「石見地方」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(2) 「石見地方」 、 石見神楽(日本神話におけるスサノオの八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治を題材とした内容) スサノオと大国主(縄文の親玉を祀る・・?)を祭る出雲大社(妻入り風の拝殿と最奥は御本殿、高さ24m社建築最大…

平成日本紀行;世界遺産・石見銀山 「はじめに」

平成日本紀行;世界遺産・石見銀山 「はじめに」 、 写真:世界遺産の「龍源寺間歩」、公開中の坑内 世界遺産・石見銀山遺跡(1) 「はじめに」 2007年(平成19年)6月末、「石見銀山史跡」は世界遺産に正式に登録された。 正式名称は『石見銀山遺跡とその…

平成日本紀行(180) 江津 「江の川」 

平成日本紀行(180) 江津 「江の川」 、 江の川河口と江津港(日本製紙の煙突) 江の川は、中国地方最大の川で、江川(ごうがわ)とも呼ばれる・・、 石見地方の浜田には高速道路が到達している。 瀬戸内・山陽道が大きく内陸へ入り込んでるあたり、広島の北…

平成日本紀行(179) 浜田 「石州瓦」

「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします 平成日本紀行(179) 浜田 「石州瓦」 . 浜田の石州瓦屋根が並ぶ町並み風景 石州瓦は、冬の風雪に耐えながら、この地方独特の風情と景観を醸し出している・・、特に、島根県に入って目に入ったものは、海の青、山…

平成日本紀行(177) 益田 「柿本人麿呂」

平成日本紀行(177) 益田 「柿本人麿呂」 . 高津柿本神社(益田市)と柿本人麿呂像 「足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿」・・?、阿武町から須佐町、田万川町は海岸にへばりつく様に、鉄路(山陰本線)と道路が並行して走る。 午前の頃、モヤ…

平成日本紀行(176) 萩 「村田清風」

平成日本紀行(176) 萩 「村田清風」 、 萩城址と指月山公園 「 来て見れば 聞くより低し 富士の山 釈迦や孔子も かくやあるらん 」 清風萩城・毛利藩は1604年(慶長9年)萩城建造に着手して以来、幕末の1863年(文久3年)、時の藩主・毛利敬親が幕府に無許可…

平成日本紀行(176) 萩 「長州・毛利氏」

平成日本紀行(176) 萩 「長州・毛利氏」 , 旅の記録;「日本一周」へリンクします『 一年の計は元旦にあり、 一月の計は朔(ついたち)にあり、 一日の計は鶏鳴にあり』・・、萩の歴史の本山・「萩城址」へ向かう。 町の西の端から今度は、東の端の位置にあ…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(6)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(6) . 吉田松陰像(山口県文書館蔵) 旅の記録;「日本一周」へリンクします吉田松陰の基本思想と松下村塾の関わり・・、安政6年(1859年)、松蔭は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、江戸伝馬町の獄において斬首…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(5)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(5) , 吉田松陰像(山口県文書館蔵) 旅の記録;「日本一周」へリンクします『 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 』 松蔭松蔭は、萩の獄舎で囚われの身となっているが・・、 「野山獄」は現在の…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(4)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(4) . 吉田松陰像(山口県文書館蔵) 旅の記録;「日本一周」へリンクします 「雲外の鶴 籠の中の鶏」・・、松蔭は、下田沖でペリーの艦隊に潜入し、密航を図ったがペリーに良心的に拒否され、身柄を拘束された。 その後…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(3)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(3) 、 下田市柿崎の弁天島に立つ吉田松陰と金子重輔の像(下田市提供) 『 かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂 』 松陰1854年、日米和親条約を締結したペリー提督は下田に回航し、条約を…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(2)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(2) 、 吉田松陰 旅の記録;「日本一周」へリンクします「松下村塾」は、叔父・玉木文乃進が創設し、吉田松陰に引き継がれる・・、吉田松蔭は東北見聞旅行の前に、三浦半島の浦賀や久里浜を探索している。 松蔭は、浦賀…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(1)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(1) 、 吉田松陰の松下村塾 松下村塾の講義室 旅の記録;「日本一周」へリンクします罪人にして尚、虫のいいことに松蔭は更に「外遊就学願」を出している・・、今度は西の町外れ、その名も「松蔭大橋」の松本川を越えた…

平成日本紀行(176) 萩 「萩城下」 

平成日本紀行(176) 萩 「萩城下」 、 高杉晋作旧邸 旅の記録;「日本一周」へリンクします「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し」と 、博文が晋作のことを詠んだ・・、国道191が長門から三隅に至る頃は、山間の緑濃き道となる。 山中深く大きく弧を描くよ…