我が青春の地、いわき湯本温泉の紹介、

我が青春の地、福島県いわき湯本は地域でも珍しい温泉地で、其の温泉に因んだ特色や歴史などを紹介します、

新・日本紀行(119)長崎 「グラバー園」


『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




 新・日本紀行(119)長崎 「グラバー園」 






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幕末のイギリス企業家・トーマスグラバーの邸宅





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旅の記録;「日本一周」へリンクします

エキゾチックな港町・長崎、この街に2015年新たな世界遺産が誕生しました。 観光名所・グラバー園にある「グラバー邸」で、和洋折衷の美しい洋館です。・、

大浦天主堂の隣に、其の「グラバー園(邸)」が在る。
一般に長崎の有名どころ「グラバー邸」と言われるが、長崎港が一望できる高台にある園内には他の施設や建物(洋館群)があり、周囲は洒落た庭園が広がる。
グラバー邸は一戸の邸宅であり、広義にはグラバー園と呼ぶほうが適切かもしれない。 

園内は山の斜面を利用して拓かれた施設で、見学するには先ず最上部へ上がってその後、順繰り見て回りながら下へ降りていくようになっている。
その頂上へは便利なエスカレーターが整っていた。

尤も、入口はもう一箇所あり、市電の5番系統の電車に乗って終点の石橋で下車し、ここから細い路地を入ったところに「グラバースカイロード」と呼ばれる斜行エレベーターがある。 
最上部に到ると既に長崎の細長く入り組んだ港が一望である。特に、「旧三菱第2ドックハウス」(三菱の洋館、昭和47年にグラバー園に移築)という建物のベランダから見る景観は絶景そのもの。前面は、洋式庭園が品よく配されている。子供達は池の鯉に大はしゃぎ・・!。

下るにしたがって、旧オルト住宅旧リンガー住宅、伝統芸能館、旧自由館(日本初の西洋料理店として造られた)といった洋館が次々と現れる。 
又、長崎を題材にしたプッチーニ作曲のオペラ「蝶々夫人」で、生涯を通し主役を演じつづけた「三浦環」の銅像もある。

三浦環という女性は当時世界的に有名なオペラ歌手で、ここグラバー園はマダム・バタフライのモデルになった土地柄ともいう。 
そして、更に下部の方に一段と大きなL形に配した旧グラバー住宅が据わっていた。


これらの貴重な建築物は全て明治期の洋館であり、園内に移築、復元したものだという。この三旧宅はいずれも国指定重要文化財であり、そして園内一帯、建物を取り巻くように、四季を通じて様々な花が咲き誇る、緑に囲まれた園地に成っている。
尤も、この辺り一帯の南山手、隣接の東山手一帯は、日本でも最も古い洋館が多く残る貴重な場所で、国の重要伝統的建造物保存地区になっているという。



さて、グラバー邸の住人・「トーマス・ブレイク・グラバー氏」のことである。
英・スコットランド人の彼が21才の時、天保9年(1838)に長崎へ来航し、三年後の1862年には「グラバー商会」を設立している。 

グラバーは坂本龍馬をはじめとする、長州や薩摩などの藩士達と交流を深め、幕府や各藩に武器や船舶、機械類などを大量に販売し、莫大な富を得た。
そして、近代的ドック建設、高島炭鉱の開発、大浦海岸でわが国初の蒸気機関車を走らせたり、海底ケーブルを長崎と高島間に敷設して電話の使用ができるようにしたりと、 様々な最新技術を日本に伝えた偉大な功労者であった。

又、「ジャパン・ブルワリ・カンパニー」(後のキリン麦酒株式会社)が横浜に設立される際にも指導的に活躍したという。 
グラバー自身は岩崎弥太郎経営の三菱の顧問となって、明治30年(1897)には東京に移転し、裕福な余生を送ったという。 
明治41年(1908)外国人として初めての勲二等旭日重光章を受ける。 
東京の自宅で明治44年(1911)、73歳の生涯を閉じたグラバーは、家族と共に坂本国際墓地(爆心地の近く、長崎大に隣接)に埋葬されている。


グラバー邸内に一対の「狛犬」が飾ってある。
キリンビールの前身となる会社を作った人はグラバーであるが、お馴染みのキリンビールのマークの麒麟のモデルになったのはこの狛犬だそうで、グラバーの提案でデザインされたと言われている。
何、キリンじゃなくて狛犬?と思うが、想像上の動物だから良しとしよう。 

尚、狛犬やモデルの麒麟に髭が生えているのは、グラバー自身の口髭からきているという。 同じく、グラバー邸内の屋根裏には隠れ部屋と称する特殊な部屋が存在する。
邸を訪ねてきた志士達を幕府の取締りから逃れさせるため、逃げ道を作っていたらしい。


グラバーは坂本竜馬と友好を持ち、「亀山社中」との貿易相手でもあった。
長州が、薩長同盟亀山社中を通し最新式の西洋銃を購入したのもこのグラバーからで、竜馬亡き後も、高杉晋作自身がグラバー邸に出向き交渉を行ったという。 

かっての幕末、長州藩は幕府から睨まれており武器を購入することができなかった。 
坂本竜馬は自分のつくった日本最初の株式会社と言われている「亀山社中」を通して最新銃4300丁と旧式銃3000丁を薩摩藩名義で購入し、長州藩に横流しする方法を思いついた。

グラバー商会から購入した銃が、第二次長州征伐で大活躍し長州藩を勝利に導き、明治維新を成し遂げる大きな原動力となったのである。 
このグラバー邸は坂本龍馬伊藤俊輔(博文)、井上聞多(馨)などが出入りした記念すべき建物でもある。



ところで、前項で記したが、「長崎チャンポン」で銘打って「リンガーハット」という飲食店が全国に展開している、長崎名物の中華風料理のことである。

社名は長崎で幕末から明治初期の頃に活躍したイギリス人実業家で、旧リンガー邸の住人・フレデリック・リンガー1840年-1908年)の氏名から取っており、それに明るく・響きのいい小さな家(ハット・HUT)を絡ませて「リンガーハット」としたという。
思えば、リンガーハットの店舗の形が、何か洒落た洋風を感じる。
リンガーは若くして中国に渡り、茶の検査官として働いている時にグラバーと出会い、乞われてグラバー商会に入社し製茶事業技術顧問として活躍したという。


長崎は「日本三大夜景」の一つで、特に長崎の夜景は千万ドルの夜景ともいわれ、長崎港を囲むように宝石をちりばめたように街全体が光輝くという。
夜景の見学スポットとしては「稲佐山」(長崎湾を隔てた対岸の山で、頂上までにロープウェイ、展望台がある。 標高333メートル=東京タワー)からの夜景が一番有名であるが、このグラバー園のグラバー庭園や旧三菱ハウスからの町の夜景もピカイチといわれる。
尚、日本三大夜景とは 長崎、神戸、函館である。


次回は、長崎といえば「出島

  
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