我が青春の地、いわき湯本温泉の紹介、

我が青春の地、福島県いわき湯本は地域でも珍しい温泉地で、其の温泉に因んだ特色や歴史などを紹介します、

四国の旅・高知県; 土佐中村 「四万十川」

 四国の旅・高知県; 土佐中村 「四万十川」   





四万十川沈下橋





四万十川と遊覧船、澄んだ水の青さに季節によって顔を変える四万十川、この船で食事やお酒を飲みながら遊覧する。



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日本最後の清流、「四万十川

中村市」・・、とはいっても旧中村市のことで、本年4月に北部・山間地、西土佐村と合併し新市「四万十市」として発足したばかりである。 
四万十川の町として知られる土佐中村は、河口よりやや内陸に入った河畔、四万十川と支流河川の中洲に広がる町並みである。

中村の町並みは、15世紀半ばの室町期、朝廷の関白家の一条氏が応仁の乱の混乱を避け、所領であった土佐幡多の荘(現在の中村・四万十市)に京都から下向してきたことから始まる。 
一条氏は、雅やかな京都に対する思慕の念から、この土地に京風の町造り、町並み造りを実施し、中村御所(現在は一条神社)を中心に碁盤目状の街並みや祇園神社、東山、鴨川といった地名を残している。
又、前関白という身分の高さもあり一条氏は土佐の人望を集め、国中の豪族もこれに臣従し「中村」は土佐の小京都とも呼ばれるほど。 
一方ならぬ賑わいを見せたという。以降、土佐一条氏は、新興勢力長宗我部氏が幡多に侵攻するまで続くことになる。


実は、中村という名称は、長宗我部氏から始まる・・、

土佐中村城は、土佐くろしお鉄道の中村駅から西北に3kmのところ古城山とその山麓を占めるところにある。
この城郭は現在、郷土資料館になっているが、当地は昔から交通の要衝であり、かっては、この地方の豪族、為松氏が城を造り居城としていた。
後に、為松氏は土佐国司となった一条家の家老として仕え、為松城は中村御所の詰の城として整備された。
中村御所跡はいま中村一條神社となっている。


町並みを過ぎて、四万十川の渡川大橋を渡り、そのまま西側の河畔土手を走る、成る程、その名に聞こえた清流である。
川幅は1kmもあろうか、草生した洲だまりもあるが、広くは流水部が占めて悠々と移流している。
合流河川の所はさらに川幅は広くなり、雄大さを誇る。河口付近は、巨大な中洲も発達しているようである。

川岸に造形された船着場に、数艘の屋形船が着岸している、中央の川面に漁であろうか・・?一艘の川船が佇んでいた。
四万十川らしい風景と雰囲気を感じ、思わずシャッターに手が延びた。 
川岸に沿って「四万十屋」や、“うなぎ”と銘うった数件のドライブインと御土産屋があり、「遊覧船乗り場」の大きな看板も目につく。 
名所に、四万十川らしい生活景観を厭味無く演出している。 


次回も「四万十川


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