平成日本紀行

日本一周の旅の記録を、各地ごとにまとめ記載しています、

平成日本紀行(185)玉造 「八坂瓊の勾玉」

平成日本紀行(185)玉造 「八坂瓊の勾玉」  



「玉造」はその名の如く、「三種の神器」の一つ、八坂瓊の勾玉(ヤサカニノマガタマ)の製造元であった

松江の南に、玉造温泉がある。
小生、若かりし頃(20代)出張仕事のついでに山陰を旅行した際、宿泊した温泉であるが記憶は全く無い。 もう既に半世紀前のことであった。

宍道湖へ注ぐ玉湯川沿いに、数寄屋造りの高級和風旅館が多く並び、歓楽色は一切なく、歴史を重んじた落ち着いた風格を見せる。 
出雲国風土記にも記載があり、奈良時代開湯といわれる古湯で、神の湯として知られる。


ところで、玉造という名の由来は「三種の神器」の一つ、八坂瓊の勾玉(ヤサカニノマガタマ)が櫛明玉命(クシノアマルタマ・出雲国玉作祖:ニニギと共に降臨したとされる)によってこの地で造られたことに由来するという。 
玉造の温泉街のはずれ、玉作湯神社にはその櫛明玉命を祀っており、多数の勾玉や管玉が社宝として保管されているという。 


玉作湯神社の縁起的資料には・・、

『 櫛明玉神は豊玉、玉祖神などの異称をもち、天岩戸の前で神々のお計らいで神楽を奏せられた時、真榊の枝に懸けられた「八坂瓊之五百箇御統玉」は此の神の御製作であった事は、古語拾遺に明記せられ、玉作部の遠祖と仰がれ、此の地方に居住し、此の地の原石を採って宝玉の製作をお司りになったと伝え、日本書紀に「素盞鳴尊が天に昇りまさんとする時、羽明玉神(古語拾遺には櫛明玉命とあり)は道に出迎えて、瑞八坂瓊の勾玉を進め、素盞鳴尊は之を御姉天照大御神に献上になった」ことが記され、社伝には三種神器の八坂瓊の勾玉は命が御製作になったものと伝えています。
天孫降臨の際、櫛明玉命は随従の五部の神の御一人として、玉作の工人を率いて日向に御降りになり、命の子孫一族は所属の工人と共に出雲玉造郷に留まって製玉に従事し、其部の長たる櫛明玉命の薫督をお受けになったと云われ、古語拾遺に「櫛明玉命之孫、御祈玉を作る。其の裔、今出雲國に在り、毎年調物として、其の玉を進む」と記され、又同書に「櫛明玉命は出雲國玉作祖也」 』・・と。

要約すると・・、
八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)は、長い紐につなげた勾玉のことで、別名を「八坂瓊乃五百箇御統玉」(やさかにのいほつみすまるのたま)といい、特別な名前が付いている。
「玉」は鏡や剣といっしょに古代王権(現在でも)の象徴で、神話では天岩戸に引きこもった天照を引っ張り出すために賢木(さかき=榊)へ鏡や木綿(ゆう)といっしょにかけられたという。 製作者は玉祖命(たまおやのみこと)という神様で、「八坂」は八尺のことをいい、「五百箇」は多数、沢山を意味し、「御統」は多くの玉を連ねて輪にすることをいう。 「玉」はヒスイ、メノウや碧玉(へきぎょく)製品で、所謂、貴石、宝石であり、貴重な宝物である。 宮中にあっても、たとえ天皇はおろか、何人も眼にすることは許されていない宝物とされている。 

平安時代の頃に伝承が有って、時の冷泉天皇が、箱をあけて中を見ようとしたという伝えがあるが、その時、突然に白煙が立ち上り、驚いて止めたという。



玉造は「メノウ」の産地で特に、青メノウは玉造だけに産出するという。 
伝承館には2トンもある大きい赤メノウの原石が展示されている。 又、玉造温泉入口の公園には真玉の勾玉が飾られ、温泉街の各所に勾玉のモニュメントが置かれている。

明治以後、天皇即位の式典に際し、この地で作られた碧玉や瑪瑙(めのう)が献上されたという。 


次回は、その「三種の神器