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平成日本紀行

日本一周の旅の記録を、各地ごとにまとめ記載しています、

平成日本紀行(135)大分 「豊後・大友宗麟」

大分県

九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)






『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
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 平成日本紀行(135)大分 「豊後・大友宗麟」   





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/61/Otomo_Sourin_Statue_at_Oita_Sta.jpg
大分駅前の大友宗麟の像






「日本一周の旅の記録」へリンクします
 

大友宗麟」について・・ 、

大分・豊後といえば大友義鎮(よししげ=宗麟、鎌倉の初代から21代領主)で、キリシタンを保護し自らも改宗して歴史に名高いキリシタン大名となっている。 

フランシスコ・ザビエルをはじめとするポルトガル人宣教師やポルトガル商人が宗麟のもとに、当時、府内と呼ばれていた現在の大分市に頻繁にやって来た。
又、自らも当時世界の最富強国であったイスパニアポルトガルなど日本人として初めてヨーロッパに渡り、世界の指導者らと会見している。 

宗麟の外交使節の役割は文化、宗教史上に留まらず交易を含む多方面にわたったとされ、当時としては画期的であったという。
戦国時代の国際都市であった豊後は、日本初の西洋式病院を設けられるなど南蛮文化が花開き、大分の全盛時代を築き上げた。

反面、キリシタンであったがため、元来より八幡信仰や仏教信仰の篤い家臣団との軋轢を生じることにもなる。 
宗麟はキリスト教の理想国を建国するという計画に没頭しはじめるが、しかし、このことが遠因となって、やがて没落の道を辿ることになる。
この頃、隆盛著しい「島津氏」が勢力を伸ばし、九州制覇へ向けて動きだす事になり、豊後を侵攻するようになる。 
後に、宗麟は圧倒的勢力の島津氏との正面対決により大敗北を喫し(耳川の戦い・詳細は後報・・)、豊後から退却する結果となる。 
あと一歩で大友氏の息の根を止めるところまで追い込んだ島津だが、豊臣秀吉による九州征伐で九州は平定され、大友氏は縮小されながらも豊後一国を安堵される。 
この時期の1587年、宗麟は58歳で生涯を終えている。 


その後の大友氏は秀吉の朝鮮出兵の際、失態により改易、更に、江戸期には一旦、旗本取り立てられるが、その子の義親の代になって無嗣(家督を相続する子がいない)のため事実上大友家は滅亡する。

改易とは、所領や家禄・屋敷を没収せれることで、特に江戸時代の刑では蟄居(チツキヨ)より重く、切腹より軽いといわれる。 


大分市顕徳町三丁目周辺に、豊後国府といわれる大友氏館跡や大友氏の菩提寺である万寿寺跡の遺跡が在り、現在も発掘調査が行われているという。 
館跡は北部九州六カ国の守護職を務めた大友宗麟の館跡で、京都の室町将軍邸をモデルに造られた守護館の典型的な姿であるという。 
その歴史的価値の高さから、「大友氏遺跡」として国の史跡に指定されている。



大分市は、2005年1月に北海部郡佐賀関町大分郡野津原町大分市に編入され、新「大分市」発足している。

佐賀関町大分市の東方、豊後水道に突き出した三角形の町で、対岸の愛媛県佐田岬半島へは豊予海峡を挟んでわずか14kmの距離である。 
東九州の玄関口であり九州でもっとも四国に近い町であり古代よりの要港であった。 
そして、握り寿司などでもお馴染みの 「関あじ・関さば」の産地でもある。 
豊予海峡は急流うずまく「速吸瀬戸」(はやすいのせと)とも呼ばれる好漁場で、ここで育った魚類は身がしまって絶品であるという。

又、野津原町は大分の南部に位置し山間の静かな町で、町域の中心を竹田に向かって国道442号が走る。 
更に、矢の原から県道412号が国道と並行して走る。 

この道は豊後街道といって、江戸期は肥後熊本城主・細川氏や豊後岡藩主(竹田藩)・中川氏の参勤交代道路として利用されていたことは先に述べた。 

南部に位置する「今市」はこの豊後街道にあり、中川氏が岡藩の宿場として設けた宿場町でもある。
今も、当時の名残の石畳が道路の真ん中に続いている。

その豊後街道から竹田を目指した。


次回は、「竹田

  
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