我が青春の地、いわき湯本温泉の紹介、

我が青春の地、福島県いわき湯本は地域でも珍しい温泉地で、其の温泉に因んだ特色や歴史などを紹介します、

平成日本紀行(134)由布院 「湯平温泉」

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九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(134)由布院 「湯平温泉」 








写真:鄙びた石畳の坂道・「湯平温泉通り」(木造の四階建てに注目)




最上部の「金の湯」(共同湯)と浴槽(男湯)




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石畳の、鄙びた、歴史ある、温泉・・!!  、


湯布院町由布市)の三番目の温泉場・「湯平温泉」へ向かう。

駅前から11号線、更に南由布院駅辺りから国道210号線(大分・湯布院道)を行く。 
山峡の地に久大本線が並行して走り、谷底に大分川の清流が光る。  

車を下りて今度は“ツッカケサンダル”で歩くことにした。 しかし、草履サンダルより下駄が似合う町並み、否、路地である。


温泉街は石畳の坂道通り沿いを中心に約30軒程の温泉宿が並ぶ、小ぢんまりとした湯街である。 
シンボルともいえる石畳をゆっくり歩を進める、歩くうち意外と坂が急なのに驚く。
湯平温泉”ならぬ“湯坂温泉”であろうと皮肉りたくもなる。 

道脇に、石を刳り貫いて造作したと思われる石灯篭が石畳の道筋に等間隔に設置してある。
ボンヤリ灯りで、夜の温泉情緒を盛り上げようというのだろう。



石畳の坂道」、この石畳には約300年の歴史があるという。 
江戸後期に湯町の篤志家(工藤三助)が現在の石畳を作ったのがきっかけで、凡そ500メートルも続く石畳の急な坂道である。 

尤もであるが何故、階段にしなかったのかかなと素人的疑問も生じるが・・?、
何故なら雪の日は大変だろうな、足腰の弱い人は階段に腰掛けて休みながら上れるのにと。
だが階段にすると施工が大変か、などと感じながらも個人の「」で行ったとすれば納得でもある。

石畳は300年の経過があるが、湯平温泉そのものは由布院同様、鎌倉時代より開けたといわれ古い歴史のある温泉場である。 
江戸期に温泉地としての骨格が出来上がり、それ以来、湯治場としての発展をつづける。貴重で豪華な木造四階建ての旅館が建ったのもこの頃で、今もその建物が一部残っている。


大正から昭和初期にかけて一時代を築き上げた湯平は文人・墨人も多く訪れている。

『 わたしゃ湯の平 湯治のかえり 肌にほんのり 湯のかほり 』
と詩人の野口雨情が詠っている。

又、山頭火は地元の人情に触れた様子やその思いを

『 しぐるるや 人の情けに 涙ぐむ 』
という句に残し、真新しい石碑が石畳に入り口に建つ。


最近では、1982年(昭和57年)に湯平で『 男はつらいよ 第30作 花も嵐も寅次郎 』がロケ撮影されてもいる。


次回も湯平温泉

  
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