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平成日本紀行

日本一周の旅の記録を、各地ごとにまとめ記載しています、

平成日本紀行(125)熊本 「加藤氏と細川氏」

熊本県


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)




『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/





 平成日本紀行(125)熊本 「加藤氏と細川氏」   


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fb/Small_tenshu_%26_Uto_turret_%26_Large_tenshu_in_Kumamoto-Csl.jpg/1024px-Small_tenshu_%26_Uto_turret_%26_Large_tenshu_in_Kumamoto-Csl.jpg
天守と小天守、手前の宇土櫓、


http://www.kato-k.org/img/kato_kiyomasa.jpg
築城者の加藤清正






「日本一周の旅の記録」へリンクします
 

熊本では善政の事柄は全て「せいしょこさんのさしたこつ(清正公のなさったこと)」となると、更に細川家も・・、

加藤清正は永禄5年(1562年)6月24日、尾張国生まれで豊臣秀吉とは血縁関係にあり、双方の母親が従姉妹同士だったという説もある。 加藤虎之助清正(かとうとらのすけきよまさ)を名乗り、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いでは「七本槍」の1人に数えられ、その後も数々の武功を立てている。

天正16年(1588年)清正はそれまでの侍大将から、一気に肥後北半国19万5千石の領主を任命される清正27歳の時である。 
入国当時の肥後は、国人衆(こくじんしゅう)と呼ばれる土豪がひしめく難治の国で、しかも長引く戦乱で国内は荒れ果てていたという。
当時、肥後を訪れた宣教師が「これほど貧しい国を見たことがない」と書き残していくらいである。 

清正入国後は治山治水、新田開発などに力を入れ、又、南蛮貿易に乗り出すなど積極的に領地経営を進め、国はどんどん豊かになり、結果領民からは神様のように慕われるようになった。今でも熊本では善政の事柄は全て「せいしょこさんのさしたこつ(清正公のなさったこと)」となるという。


文禄・慶長の役朝鮮出兵)では主力として7年間戦い続け、秀吉の死後起きた関ヶ原の合戦では石田三成小西行長らとの確執から東軍に付き、その功績によって肥後国大半を領して実質ともに54万石の大大名となる。 

関ヶ原で東軍についたとはいえ豊臣家に対する清正の想いは並大抵のものではなく、慶長16年(1611年)二条城にて秀吉の遺児・秀頼と徳川家康を会見させることに成功する。
これで豊臣家も安泰と思われたが、清正は二条城の会見から熊本に帰る船中で発病し、熊本城で亡くなっている。
享年50歳であったが、奇しくも生まれた日と同じ6月24日であったという。

豊臣家も清正の没後僅か4年で大坂夏の陣に破れ滅亡する。
清正亡き後、加藤家は家督争いが高じて寛永9年(1632年)5月、突然幕府から21か条の罪状を突きつけられ、「諸事無作法」であるとして出羽・庄内に一万石だけを与えられて配流となる。
これが豊臣譜代の名門大名加藤家の没落の始まりであった。


熊本の礎を築いた「清正公」(せいしょうこう)、幼少の頃は虎退治でも名を馳せた加藤清正であり、当時は六尺(180cm)の大男だったらしい。 
武勇の将、築城の名手、治水・土木の天才であった事はよく知られ、清正独特の治水技法を生みだした。

又、敬虔な日蓮宗の篤信者でもあったという。
その死後、権化(ごんげ)、権現の人であるとされ、次第に所願成就の「」としてお祀りされ全国各地にお堂、神社、碑、像、日蓮宗派の寺院などで清正公信仰が広まった。 
特に、土建業者の信仰が厚いといわれる。


なお、一般には「セイショウコウ」と称しているようであるが、熊本では「セイショコ」と言うらしい。 
肥後・熊本、入国以来県内各地の河川、田畑、新田開発に大きな実績を残し、しかも自ら陣頭指揮で工事に当ったといわれ、清正公の偉大さを偲んで市民会館・国際交流会館には往時の治水工事指揮姿の清正公座像が、熊本城をバックに建っている。


次回も、「加藤氏と細川氏」(Ⅱ)

  
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