我が青春の地、いわき湯本温泉の紹介、

我が青春の地、福島県いわき湯本は地域でも珍しい温泉地で、其の温泉に因んだ特色や歴史などを紹介します、

平成日本紀行(125)熊本 「肥の国、火の国」


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)







 平成日本紀行(125)熊本 「肥の国、火の国」   






https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b2/Mt.Aso_and_caldera01.jpg/1024px-Mt.Aso_and_caldera01.jpg
外輪山からの阿蘇山





阿蘇山中岳の噴火の模様、



「日本一周の旅の記録」へリンクします
 

古代、熊本県の領域は概ねかつての肥後国とほぼ重なるが、肥後国は古代においては「火の国」または「肥の国」と呼ばれていた。

火の国は熊本の象徴である阿蘇地方の主神が火の神であることから呼ばれたようで、阿蘇山が噴火して火を噴き火山弾が降ることで阿蘇山に対する霊異から「火の神」とも言われ、この地方を広く「火の国」とも称したという。

又、「肥の国」は7世紀終わり頃、現在の佐賀県長崎県の地域である肥前国肥後国に分けられた。
肥後国は生産力が高い豊かな土地で地理的にも重要と判断されたため、律令体制下では大国の一つとされた。
中世には名和長年(出実は伯耆大山の麓の名和の庄)の子孫である名和氏などが領地を有するが、戦国時代に至っても肥後の国では有力な戦国大名が現れず、国人・豪族同士の争いが暫くのあいだ続いた。


豊臣秀吉の時代に九州制覇の後、秀吉の第一の子飼いである「加藤清正」(幼少・加藤虎之助)に肥後を分け与えている。
清正が主城に入城し統治を開始すると、治山治水や有明湾の干拓による土地開発などを積極的に行い、荒廃していた土地を改良し、生産力を向上させたという。 
現在の熊本の礎は主に清正に拠るところが多い。 

清正は1607年(慶長12年)に新たな隈本城を築き、その後、当地の呼称を隈本から「熊本」へと改名し、お城も熊本城とした。 
これ以降、熊本は城下町として発展していくことになる。しかし清正の死後江戸幕府は加藤家を改易し、代わって細川氏を入国させ、以降、明治の廃藩置県まで続く。 

昭和から平成の宗相になった細川護煕(もりひろ)は、その子孫にあたる。


現在の熊本市は九州全体としては福岡市、北九州市に次いで3番目の人口を擁する大都市である。
尚、水道水の大部分を地下水だけでまかなっている稀有な都市でもある。


次回は、「水の国・

  
「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします






【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
seesaaブログ    fc2ブログ    gooブログ    googleブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行   東北紀行   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   九州の旅    日光讃歌

【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」