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平成日本紀行

日本一周の旅の記録を、各地ごとにまとめ記載しています、

四国の旅・愛媛県: 伊予松山 「霊場・石手寺」(Ⅱ)

愛媛県




 四国の旅・愛媛県: 伊予松山 「霊場石手寺」(Ⅱ)   、




http://livedoor.blogimg.jp/canarywharf-redseals/imgs/7/0/70a7ed54.jpg

https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSjU64EgB_4SJ01YCighXYPAfhGxdaiYI2L1H75wKopdGFQTkie

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/013/529/32/N000/000/017/123469795518116303357.JPG


http://www.beach.jp/_images/archive/d0109471ESQL3KRB2MS09MLFBQ874RFVKS4FG5KKHJ983SPHNQ4KBE4/large
マントラ洞内へ、

http://cluricaune.world.coocan.jp/nippon/2000-09-ehime/image/ishite-14.jpg
マントラ洞(怪しげな部分を代表するシロモノは「裏の顔、常ならざる陰の世界)



この寺は、聖武天皇(奈良初期)、伊予国司・「越智玉純」(おちたまずみ)が天皇の勅願を受け、鎮護国家の為に伽藍を創建して、はじめ「安養寺」として名を付けた古寺であったという。

寺院境域は66000平方メートルという広大な敷地を持つ。

奈良中期に、「衛門三郎」と弘法大師の縁起から「石手寺」と名を変えたという。 


この衛門三郎こそ、「元祖、四国巡礼者」であったとも云われる。 

ある日、伊予の住人「衛門三郎」が、托鉢(修行僧が、各戸で布施する米銭を鉄鉢で受けてまわること。
乞食・コツジキ)で訪れた大師に向って「帰れ、このくそ坊主」と悪行をなした。
すると忽ち一家は破滅的天罰が下り、その原因が托鉢の僧にあったことを知る。 
三郎は大師に一目会って懺悔すべく旅立ち、伊予から讃岐へ、更に阿波、土佐を経て大師の後を追い、四国の道を二十周して力尽き、息をひきとる間際、大師に会うことが出来たという。 

大師は懺悔を聞きながら手に石を握らせた。 
次の年、伊予国司、河野家に「左手に石を握った男子」が誕生し、安養寺の住職は「衛門三郎の再来」として、寺の名を「石手寺」と改めたという。 
衛門三郎の善行を聞いた人々が、四国を巡る遍路に出るようになったともいわれる。

遍路行者達は、古刹・名刹に巡拝し心を清め、更に、名湯道後で身体を洗い流して明日への活力としたのであろう。



『 西方を よそとは見まじ 安養の 
          寺に詣りて 受くる十楽
 』 御詠歌




石手寺の本堂前に展開する華麗な建築物は謂わば、大師の教えを貫く精神世界である。 

表の顔という人もいる。 

ところが、この石手寺は珍しく別な顔を持つもう一つの世界があるという。 
本堂裏手にある「マントラ」というのがそれで、怪しげな部分を代表するシロモノは「裏の顔、常ならざる陰の世界」とも云える世界を演出している。

先ず、入口は「曼荼羅」として木造の普通の門に相当する造りであるが、周辺の飾り物はイカにも奇妙な代物なのである。



曼荼羅とは、本質を有するものの意で、特に仏界では悟りの世界を象徴するものとされる。 この奥に洞窟があって異次元の空間が広がっている。
その洞窟も幾つかあって「都卒天洞」(とそつてんどう)、「地底マントラ」、「大仙窟」等の名称がついていて、これらは人間の苦しみ、人間のむごさ、人間の痛みなどの苦しい人生模様を現しているともいわれる。


本堂前の華麗な世界は、精神が昇華する願いを込めた世界であり、一種、願望と理想を描いているが、反面、裏の洞窟に広がる暗欝な世界は、現実的な不屈の精神界を表現しているようでもある。


この苦しみに負けず、生きるものは幸福へと進もう」とする不屈の呼びかけであろうか。

石手寺は、二つの世界が体験出来るのである・・!!。







  
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マントラ洞内へ、

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マントラ洞(怪しげな部分を代表するシロモノは「裏の顔、常ならざる陰の世界)



この寺は、聖武天皇(奈良初期)、伊予国司・「越智玉純」(おちたまずみ)が天皇の勅願を受け、鎮護国家の為に伽藍を創建して、はじめ「安養寺」として名を付けた古寺であったという。

寺院境域は66000平方メートルという広大な敷地を持つ。

奈良中期に、「衛門三郎」と弘法大師の縁起から「石手寺」と名を変えたという。 


この衛門三郎こそ、「元祖、四国巡礼者」であったとも云われる。 

ある日、伊予の住人「衛門三郎」が、托鉢(修行僧が、各戸で布施する米銭を鉄鉢で受けてまわること。
乞食・コツジキ)で訪れた大師に向って「帰れ、このくそ坊主」と悪行をなした。
すると忽ち一家は破滅的天罰が下り、その原因が托鉢の僧にあったことを知る。 
三郎は大師に一目会って懺悔すべく旅立ち、伊予から讃岐へ、更に阿波、土佐を経て大師の後を追い、四国の道を二十周して力尽き、息をひきとる間際、大師に会うことが出来たという。 

大師は懺悔を聞きながら手に石を握らせた。 
次の年、伊予国司、河野家に「左手に石を握った男子」が誕生し、安養寺の住職は「衛門三郎の再来」として、寺の名を「石手寺」と改めたという。 
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石手寺の本堂前に展開する華麗な建築物は謂わば、大師の教えを貫く精神世界である。 

表の顔という人もいる。 

ところが、この石手寺は珍しく別な顔を持つもう一つの世界があるという。 
本堂裏手にある「マントラ」というのがそれで、怪しげな部分を代表するシロモノは「裏の顔、常ならざる陰の世界」とも云える世界を演出している。

先ず、入口は「曼荼羅」として木造の普通の門に相当する造りであるが、周辺の飾り物はイカにも奇妙な代物なのである。



曼荼羅とは、本質を有するものの意で、特に仏界では悟りの世界を象徴するものとされる。 この奥に洞窟があって異次元の空間が広がっている。
その洞窟も幾つかあって「都卒天洞」(とそつてんどう)、「地底マントラ」、「大仙窟」等の名称がついていて、これらは人間の苦しみ、人間のむごさ、人間の痛みなどの苦しい人生模様を現しているともいわれる。


本堂前の華麗な世界は、精神が昇華する願いを込めた世界であり、一種、願望と理想を描いているが、反面、裏の洞窟に広がる暗欝な世界は、現実的な不屈の精神界を表現しているようでもある。


この苦しみに負けず、生きるものは幸福へと進もう」とする不屈の呼びかけであろうか。

石手寺は、二つの世界が体験出来るのである・・!!。







  
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