我が青春の地、いわき湯本温泉の紹介、

我が青春の地、福島県いわき湯本は地域でも珍しい温泉地で、其の温泉に因んだ特色や歴史などを紹介します、

山口県

平成日本紀行(176) 萩 「村田清風」

平成日本紀行(176) 萩 「村田清風」 、 萩城址と指月山公園 「 来て見れば 聞くより低し 富士の山 釈迦や孔子も かくやあるらん 」 清風萩城・毛利藩は1604年(慶長9年)萩城建造に着手して以来、幕末の1863年(文久3年)、時の藩主・毛利敬親が幕府に無許可…

平成日本紀行(176) 萩 「長州・毛利氏」

平成日本紀行(176) 萩 「長州・毛利氏」 , 旅の記録;「日本一周」へリンクします『 一年の計は元旦にあり、 一月の計は朔(ついたち)にあり、 一日の計は鶏鳴にあり』・・、萩の歴史の本山・「萩城址」へ向かう。 町の西の端から今度は、東の端の位置にあ…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(6)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(6) . 吉田松陰像(山口県文書館蔵) 旅の記録;「日本一周」へリンクします吉田松陰の基本思想と松下村塾の関わり・・、安政6年(1859年)、松蔭は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、江戸伝馬町の獄において斬首…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(5)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(5) , 吉田松陰像(山口県文書館蔵) 旅の記録;「日本一周」へリンクします『 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 』 松蔭松蔭は、萩の獄舎で囚われの身となっているが・・、 「野山獄」は現在の…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(4)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(4) . 吉田松陰像(山口県文書館蔵) 旅の記録;「日本一周」へリンクします 「雲外の鶴 籠の中の鶏」・・、松蔭は、下田沖でペリーの艦隊に潜入し、密航を図ったがペリーに良心的に拒否され、身柄を拘束された。 その後…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(3)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(3) 、 下田市柿崎の弁天島に立つ吉田松陰と金子重輔の像(下田市提供) 『 かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂 』 松陰1854年、日米和親条約を締結したペリー提督は下田に回航し、条約を…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(2)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(2) 、 吉田松陰 旅の記録;「日本一周」へリンクします「松下村塾」は、叔父・玉木文乃進が創設し、吉田松陰に引き継がれる・・、吉田松蔭は東北見聞旅行の前に、三浦半島の浦賀や久里浜を探索している。 松蔭は、浦賀…

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(1)

平成日本紀行(176) 萩 「吉田松陰」(1) 、 吉田松陰の松下村塾 松下村塾の講義室 旅の記録;「日本一周」へリンクします罪人にして尚、虫のいいことに松蔭は更に「外遊就学願」を出している・・、今度は西の町外れ、その名も「松蔭大橋」の松本川を越えた…

平成日本紀行(176) 萩 「萩城下」 

平成日本紀行(176) 萩 「萩城下」 、 高杉晋作旧邸 旅の記録;「日本一周」へリンクします「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し」と 、博文が晋作のことを詠んだ・・、国道191が長門から三隅に至る頃は、山間の緑濃き道となる。 山中深く大きく弧を描くよ…

平成日本紀行(175)長門 「温泉寺・大寧寺」

. 平成日本紀行(175)長門 「温泉寺・大寧寺」 . 、 「西の高野」と言われたほど隆盛を極めた重厚な大寧寺(本堂) 境内に眠る大内主従の墓 「日本一周の旅の記録」へリンクします 「大寧寺」は戦国の雄、大内氏と領主・義隆の終焉の地・・、長門市の街並みは…

平成日本紀行(174) 仙崎 「若き天才詩人 金子みすず」

平成日本紀行(174) 仙崎 「若き天才詩人 金子みすず」 、 仙崎出身の「金子みすゞ」 生家跡に建てられた金子みすゞ記念館 旅の記録;「日本一周」へリンクします 東日本大震災後にテレビで放送された、社団法人「ACジャパン」のCMが話題を呼んだ。 CMに使わ…

平成日本紀行(174) 仙崎 「青海島の捕鯨」

日平成本紀行(174) 仙崎 「青海島の捕鯨」 . 青海島の風光明媚な北海岸 「日本一周の旅の記録」へリンクします 捕鯨基地・青海島は、鯨に人間と同じように法名(戒名)を付け、鯨の供養塔や過去帳を残している・・、国道9号線は京都から、ここ下関駅まで640k…

平成日本紀行(173) 下関 「馬関戦争」

平成日本紀行(173) 下関 「馬関戦争」 . みもすそ公園に大砲が四門据ている。(馬関戦争は、藩が攘夷決行として馬関海峡を通過するアメリカ商船を攻撃したことに端を発する。) 旅の記録;「日本一周」へリンクします 幕末の思想は「尊王攘夷」であり、事件…

平成日本紀行(173) 下関 「巌流島」

平成日本紀行(173) 下関 「巌流島」 、 下関海峡にある巌流島(船島) 巌流島の決闘シーンの像(船島にて展示) 巌流島は、敗れた佐々木小次郎の流派・「巌流」からその名が起こった・・、下関海峡の彦島(ひこしま・ 下関市の南端にある島で、彦島本島のほ…

平成日本紀行(173) 下関 「本州西端の都市」 

平成日本紀行(173) 下関 「本州西端の都市」 、 下関ユースホステルと愛車 本州最西端の都市・下関は古代から近代まで華やかな歴史に彩られていた・・、高速道・下関I・Cを下りて、とりあえず今夜の宿泊所を訪ねてみた。 海峡に面した「火の山」という小山の…

平成日本紀行(173) 下関 「壇ノ浦」(2)

平成日本紀行(173) 下関 「壇ノ浦」(2) 、 写真:関門海峡に面した「みもすそ公園」にある源義経(左)と平知盛の動的な両勇姿像 写真(下):平家一門を祀った「赤間神宮」 旅の記録;「日本一周」へリンクします『 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声…

平成日本紀行(173) 下関 「壇ノ浦」

平成日本紀行(173) 下関 「壇ノ浦」 、 壇ノ浦(関門海峡)での合戦模様「義経像」 旅の記録;「日本一周」へリンクします関門海峡・長門の浦・「壇ノ浦」で最後の決戦が行われる・・! 、夕べは、帰館してから泊り客で、旅の途中でもある若者達と暫し談笑し…

新・日本紀行(103)厚狭 「厚狭地方」

新・日本紀行(103)厚狭 「厚狭地方」 、 厚狭毛利家の菩提寺・洞玄寺 「日本一周の旅の記録」へリンクします 「厚狭」という名称は、歴史的にも大変意味の有る地名であった・・国道2号線を更に行く。 宇部市、小野田市の北部山地をかすめ、山陽町から下関…

新・日本紀行(102)山口 「防長の政庁」

新・日本紀行(102)山口 「防長の政庁」 、 山口県政資料館 瑠璃光寺 五重塔(国宝) 「日本一周の旅の記録」へリンクします 「防長」とは、周防(すおう)国と長門(ながと)国のことで、現在の山口県に相当する。 その山口は、政庁のあるローカル都市であった…

新・日本紀行(101)防府 「周防の国衙(国府、政庁)」

新・日本紀行(101)防府 「周防の国衙(国府、政庁)」 、 周防国分寺「山門」、奥が本堂 「日本一周の旅の記録」へリンクします 防府は、古代・「周防国衙跡」を中心とした町の区割りが、今も残る・・、国道2号線のすぐ横を山陽道が走っていて、そこの徳山…

新・日本紀行(100)岩国の現在の錦帯橋

新・日本紀行(100)岩国の現在の錦帯橋 以上、Wikより、 「日本一周の旅の記録」へリンクします 現、平成期、五連の中央アーチ部分が、50年に一度の「平成の架け替え」の大工事がおこなわれた。 平成13年11月に着手、総事業費は、架け替え工事が見学できる…

新・日本紀行(100)山口県・岩国の錦帯橋の歴史

、 新・日本紀行(100)山口県・岩国の錦帯橋の歴史 、 新装成った名橋・「錦帯橋」 「日本一周の旅の記録」へリンクします 有名な「錦帯橋」は近年の平成年間、橋体部分の架け替え工事で新調された・・、窓の下、ガラス戸越に、ひっきりなしに車の騒音、特…